四国自動車博物館

Honda Benly Super Sport CB92

Honda Benly Super Sport CB92:伝説の始まり

伝説の序章:浅間を制した「ベンスパ」、CBの原点

1959年、浅間火山レースの衝撃

日本の、そして世界のモーターサイクル史に燦然と輝く一台、ホンダ ベンリィ スーパースポーツ CB92
物語は1950年代末、日本のモーターサイクルメーカーが技術の粋を競い合う灼熱の舞台から始まる。群馬県と長野県にまたがる浅間山麓の未舗装路を駆け抜ける「全日本オートバイ耐久ロードレース」、通称「浅間火山レース」は、メーカーにとって自社の技術力を証明し、その名を全国に轟かせるための最高の檜舞台だった。火山灰が舞う過酷なコースは、マシンとライダー双方の限界を試す、まさに鉄の意志が求められる戦場だった。
1959年8月、この浅間の地で歴史を揺るがす事件が起こる。まだ無名に近かった若きライダー、北野元選手が駆る一台の市販車、ホンダ CB92が、アマチュアライダーを対象とした125ccクラブマンレースで圧倒的な速さを見せつけ、見事に優勝を飾ったのだ。しかし、本当の衝撃はその後に訪れた。クラブマンレースでの圧勝を受け、北野選手はメーカーの威信をかけたワークスレーサーたちが覇を競う本戦「全日本オートバイ耐久ロードレース」に招待出場。そして、市販車であるはずのCB92で、居並ぶ専用設計のファクトリーマシンを相手に再び勝利するという、誰もが予想し得なかった快挙を成し遂げたのだ。
この勝利は、単なる一レースの優勝以上の意味を持った。それは、ホンダの「市販車」が、ライバルメーカーの「純粋なレーシングマシン」をも凌駕する性能を持つという事実を、何よりも雄弁に証明した瞬間だった。この出来事によって、CB92は発売と同時に伝説となり、その名は高性能の代名詞としてモーターサイクルファンの間に深く刻み込まれた。この浅間での勝利こそ、市販車ベースのレースという概念を根底から覆し、「買えるレーサー」というCBブランドの神話を創造した、戦略的なマスターピースだったのだ。

名前に込められた意志:CBとは何か

この歴史的なマシンの名前を紐解くことで、ホンダが描いた未来像がより鮮明になる。
まず「ベンリィ スーパースポーツ」。通称「ベンスパ」と呼ばれたこのモデルの「ベンリィ (Benly)」とは、元来ホンダの実用的で便利なコミューターモデルに与えられた、文字通り「便利」に由来する名前だ。その実用車の名を冠しながら、「スーパースポーツ」という言葉を繋げたことは、それ自体が革命的な宣言だった。これは、日常の足から生まれた非凡なる存在、すなわち、実用性の系譜から突如として現れた高性能マシンであることを示していたのだ。
そして、何よりも重要なのが「CB」という二文字です。諸説あるが、最も有力な説は「C」がMOTOR CYCLE、「B」が "for CLUB MAN RACER" を意味するというものだ。クラブマンレーサーとは、自らマシンを購入し、週末にレースへ参戦するアマチュアライダーたちのこと。これは、モーターサイクルを単なる移動手段ではなく、スポーツであり、情熱を傾ける対象と見なす新しい顧客層への、ホンダからの明確なメッセージだった。ホンダはただ高性能なバイクを造ったのではない。「CB」という名を冠することで、趣味としてレースを楽しむという新たな文化を定義し、その担い手となる人々を祝福したのだ。この先見性こそが、後に世界を席巻するスポーツバイク市場の礎を築くことになった。なお、数字の「92」は排気量ではなく、125ccクラスにおけるモデルタイプを示す型番である。

世界への挑戦が生んだ奇跡:CB92開発秘話

ホンダの世界戦略とTTレース宣言

CB92の誕生は、ホンダの世界に向けた野心と密接に結びついている。1950年代、創業者である本田宗一郎は、ブラジルでの国際レースでの敗北や、欧州視察で目の当たりにした世界最高峰のマン島TTレースにおける欧州製マシンの圧倒的な性能差に衝撃を受ける。この経験が、1954年の有名な「マン島TTレース出場宣言」へと繋がった。それは、世界一のレースで勝利を収めるという、会社と日本の未来を賭けた固い誓いだった。
この世界への挑戦という壮大な目標が、ホンダの技術開発を猛烈な勢いで加速させた。レースで勝つためには、まず市販車のレベルを飛躍的に向上させなければならない。その思想が、CB92という奇跡のマシンを生み出す原動力となったのだ。

C92からCB92へ:実用車から生まれた超弩級スポーツ

開発の系譜を辿ると、1958年に登場した実用車「ベンリィ C90」に行き着きく。そして翌1959年、C90にセルモーターを装備して利便性を高めた「ベンリィ C92」が誕生した。これらは当時としても先進的なOHCツインエンジンを搭載していたが、あくまで主眼は日常的な用途にあった。
しかし、目前に迫る浅間火山レース、そしてその先のマン島TTを見据えたホンダは、125ccクラスで勝てる市販レーサーを早急に必要としていた。そこで、実用車であるC92をベースに、驚くほど短期間でレーシングチューンを施したモデルが開発される。それこそがCB92。当初は「CB90」として計画されたが、目まぐるしく変わるレースレギュレーションへの対応など、当時のバイク黎明期ならではのめまぐるしい状況の中で、CB92として世に出ることになったのだ。この混沌とした開発背景は、安定した長期計画の産物ではなく、勝利への渇望と、いかなる障害にも即座に対応するホンダの驚異的な技術的俊敏性から生まれたことを物語っている。

レーサーの血統:ワークスマシンRC142との絆

CB92は、単なるC92のチューニングモデルではなかった。その心臓部には、ホンダが1959年のマン島TTレースに投入するために同時開発していた純粋なワークスレーサー「RC142」の血が色濃く流れていた。
その最も決定的な証拠が、エンジンのボア×ストロークです。CB92のそれは44.0×41.0mm。これは、ワークスレーサーRC142と全く同一の数値だ。レースの最先端技術を市販車へダイレクトにフィードバックするという、当時としては前代未聞の試みだった。これにより、ホンダのレース開発と市販車開発は不可分に結びついた。レースは単なる宣伝活動ではなく、市販車の技術革新を加速させるための、製品開発サイクルそのものとなったのだ。実際にCB92は、マン島TTに参戦するホンダチームの練習用マシンとしても使用されており、両者の密接な関係性を裏付けている。
さらに、エンジン内部では高回転に耐えるため、クランクシャフトを3点支持とするなど、レースで培われた技術が惜しみなく投入されました。そしてホンダは、オーナーが自らの手でCB92をレーサーに仕立て上げるためのファクトリー純正レースキット、通称「Y部品」を用意した。レーシングマフラーやスプロケット、シングルシートなどを含むこのキットの存在は、「クラブマンレーサー」というCB92のアイデンティティを完璧なものにしたのだ。

技術と美学の融合:時代を驚かせたメカニズムとデザイン

CB92が後世に与えた影響は、レースでの勝利だけにとどまらない。そのメカニズムとデザインは、当時の常識を打ち破る革新性に満ち溢れていた。

心臓部:10,500回転で咆哮する超高回転型エンジン

CB92の心臓部であるエンジンは、それ自体が技術的な偉業でした。125ccという小排気量クラスにおいて、量産車としては世界でも類を見ない空冷4ストロークOHC並列2気筒エンジンを採用。2ストローク単気筒が主流だった時代に、この複雑で精密なメカニズムを持つエンジンを市販したことは、ホンダの技術的優位性を世界に知らしめた。
その性能は驚異的の一言に尽きる。ベースとなったC92の11.5PSを遥かに凌ぐ15PSという最高出力を、実に10,500rpmという超高回転域で発生させた。これはリッターあたり100PSを超える、純粋なレーシングマシンに匹敵する値だった。このピーキーな高回転型特性は、市街地走行ではライダーに相応の技量を要求したが、一度サーキットに解き放たれれば、比類なき武器となった。
さらに、当時の市販車としては極めて高い10.0:1という圧縮比を実現。そして特筆すべきは、これほどの高性能スポーツモデルでありながら、始動を容易にするセルモーターを標準装備していたことだ。極限のパフォーマンスと、乗り手への配慮という一見矛盾する要素を両立させる思想は、このCB92において既に確立されており、後のホンダ製品へと受け継がれるDNAの原型となった。

Honda Benly Super Sport CB92 主要諸元 (Main Specifications)

項目仕様
エンジン空冷4ストローク SOHC 2バルブ 並列2気筒
総排気量124cc
ボア×ストローク44.0×41.0mm (GPレーサーRC142と同一)
圧縮比10.0:1
最高出力15PS/10,500rpm
最大トルク1.06kg⋅m/9,000rpm
始動方式セル・キック併用式
変速機4段リターン式
フレーム鋼板プレスバックボーン
懸架方式(前/後)リーディングリンク/スイングアーム
制動装置(前/後)ドラム/ドラム (初期型は8インチ・ツーリーディング・マグネシウムハブ)
タイヤサイズ(前/後)2.50−18/2.75−18
車両寸法(全長×全幅×全高)1,875×595×930mm
乾燥重量110kg
燃料タンク容量10.5L
最高速度130km/h
発売当時価格 (1959年)15万5000円 (当時大卒初任給が約1万200円)

神社仏閣スタイル:日本独自の美意識を纏う

1950年代、日本の工業製品がまだ欧米の模倣から脱しきれていなかった時代に、ホンダはCB92で明確に「日本独自の美意識」を世界に提示した。そのデザインは、兄貴分であるドリームC70から受け継いだ「神社仏閣スタイル」と呼ばれる、唯一無二のものだった。
ヘッドライトやウインカー、テールランプ、さらにはリアショックに至るまで、角型を基調とした直線的なデザインで統一。これは、当時のモーターサイクルに主流だった流麗な曲線とは一線を画す、荘厳で凛とした佇まいをマシンに与えた。また、フレームは単なる骨格ではなく、リアフェンダーと一体化した鋼板プレス製のバックボーンフレームが、そのまま美しい外装の一部を構成していた。
特に象徴的だったのが、鋭いエッジとニーグリップラバーを持つ独特な形状の燃料タンク、通称「スカルタンク」。一説には、本田宗一郎自らが「仏像の眉から鼻にかけての線をイメージしてデザインした」と語ったとも伝えられており、日本の伝統的な造形美を近代工業製品に昇華させようという強い意志が感じられる。漆を思わせる深い黒の塗装に、金のピンストライプが施されたカラーリングは、まさに神社仏閣の持つ荘厳さを彷彿とさせた。このデザインは、単なるスタイリングではなく、日本の工業が模倣の時代を終え、独自の文化的アイデンティティを持って世界に立つという、産業界全体の宣言でもあったのだ。
なお、初期の受注生産モデルは、アルミ製の燃料タンクやフェンダー、マグネシウム製のブレーキハブなどを採用した、徹底的に軽量化された準レーサー仕様。その後、生産規模の拡大に伴い、これらの部品はより量産に適したスチール製へと変更されていった。

CBの血統、その始まりから未来へ

一つの王朝の始まり

CB92は、単独の傑作として歴史に名を刻んだだけではない。この一台こそが、60年以上にわたり世界のモーターサイクルシーンをリードし続けるホンダ「CB」シリーズの始祖である。4ストローク・ロードスポーツモデルの代名詞となった「CB」の血統は、すべてこのCB92から始まった。後のCB750 Fourが巻き起こした社会現象も、現代のCBRシリーズがサーキットで繰り広げる激闘も、その源流を辿ればこの一台に行き着く。CB92が確立した「高回転型マルチシリンダーエンジン」「レース直系のパフォーマンス」「先進的な装備」という方程式は、その後の日本製スポーツバイクの指標となったのだ。

ENGLISH DESCRIPTION

Honda Benly Super Sport CB92 (1959)

The legend began with this very machine. Introduced in 1959 as Honda's first production supersport motorcycle, the "Benly Super Sport CB92." Its name instantly became synonymous with high performance thanks to a stunning victory at the Asama Volcano Race, where this production model defeated dedicated factory racing machines.

At its heart is a 125cc air-cooled OHC twin-cylinder engine with a direct racing lineage, squeezing out 15 horsepower at an astonishing 10,500 rpm. It was a "racer you could buy," designed for owners to compete in weekend races, yet it also possessed the advanced feature of a standard-equipped electric starter for everyday convenience.

The solemn design, known as the "Jinja-Bukkaku" or "Shrine and Temple" style, featuring angular lights and a sharp-edged fuel tank, broke away from Western imitation and presented a unique Japanese aesthetic to the world.

It became the benchmark for all Japanese sport bikes that followed and is the origin of the Honda "CB" lineage that has continued for over 60 years. The entire glorious history of the CB series started right here, with this one motorcycle.

繁体字版 (Traditional Chinese)

Honda Benly Super Sport CB92 (1959年)

傳奇,始於此車。誕生於1959年,作為本田首款市售的超級運動車款,「Benly Super Sport CB92」。此車在淺間火山賽事中,以市售車之姿擊敗了廠隊賽車,寫下衝擊性的勝利,其名號也轉瞬間成為高性能的代名詞。

其心臟是一具繼承賽車直系血統的125cc氣冷OHC雙缸引擎,能在10,500轉時爆發出15匹馬力。它既是專為車主於週末參加俱樂部賽事而設計的「買得到的賽車」,同時也具備了考量日常便利性的電啟動標準配備,展現其先進性。

以方正的燈具與稜角分明的油箱所構成,被稱為「神社佛閣風格」的莊嚴設計,擺脫了歐美的模仿,向世界展現了日本獨有的美學意識。

此車成為了後續日本製運動車款的指標,更是持續超過60年的本田「CB」家族的血脈源頭。其輝煌歷史的起點,正是源自這一輛摩托車。