HONDA DREAM CB250 EXPORT
ホンダ ドリーム CB250 エクスポート:新時代の色彩
新たな「夢」の夜明け:近代ホンダ・ツインの鋳造
戦後復興から世界の舞台へ
1960年代後半、日本のモーターサイクル産業は熾烈な生存競争を経て、大きな転換期を迎えていた。1950年代には100社以上も存在したメーカーは淘汰され、市場はホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの「ビッグ4」によって寡占化される時代へと突入していた。
この中でホンダは、スーパーカブの空前の大ヒットにより、生産台数で他社を圧倒するトップメーカーの地位を確立していた。しかし、市場の需要は変化しつつあった。国内外で中間層が台頭し、高速道路網が整備されるにつれて、人々は単なる移動手段としてのバイクではなく、趣味やレジャーのための、より大型で高性能、そしてスタイリッシュなモーターサイクルを求めるようになっていた。実用車の時代は終わりを告げ、スポーツバイクの黎明期が訪れようとしていた。ホンダがこの新しい潮流の先頭に立つためには、時代を象徴する近代的で、大量生産に適した250ccスポーツモデルが不可欠だった。
CB72の遺産と革命の必要性
CB250の直接の祖先は、1960年から1967年にかけて生産された250ccの名車ドリーム CB72 スーパースポーツである。CB72は、ホンダが単なる実用車メーカーではなく、人々を熱狂させるスポーツバイクを製造できることを世界に証明した画期的なモデルだった。
しかし、CB72はあくまでも前時代の産物だった。プレス鋼板製のバックボーンフレームに前傾シリンダーエンジンを搭載するその設計は、1960年代後半の目から見れば複雑で、やや旧式化していた。また、しばしば「過剰品質」と評されるほど手間をかけて製造されており、利益率が低かったと推測される。これは、ホンダが計画していた世界規模での大量生産モデルとしては不向きだった。
そのため、CB250の開発は「フルモデルチェンジ」として、白紙の状態から進められた。ホンダの技術者たちは、主に以下の二つの点で革命的な変更を行った。
フレーム: CB72のバックボーンフレームから、より近代的で生産性に優れ、高い剛性を持つ鋼管製セミダブルクレードルフレームへと刷新。
エンジン: CB72の前傾シリンダーから、新設計の直立(バーチカル)並列2気筒エンジンへと変更。この新エンジンは、より高回転・高出力を狙ったショートストローク設計(オーバークエア)を採用した。
この移行は、単なる技術的な進化以上の意味を持っていた。それは、ホンダが技術的好奇心を満たすための複雑な工芸品を作る段階から、世界市場を見据えた収益性の高い量産品を、品質を犠牲にすることなく設計・製造する段階へと移行した、企業としての成熟の証だった。
4ストロークへのこだわり:本田宗一郎の信念
CB250が開発された当時、市場では2ストロークエンジンがその勢力を拡大していた。同じ排気量であればより高出力を得やすい2ストロークは、パフォーマンスを重視するスポーツバイクの主流となりつつあり、カワサキ、スズキ、ヤマハといったライバルメーカーは、こぞって高性能な2ストロークモデルを市場に投入していた。
このような状況下でも、創業者である本田宗一郎の強い信念のもと、ホンダは一貫して4ストロークエンジンにこだわり続けた。優れた信頼性、燃費、クリーンな排出ガス、そして洗練された走行フィーリングを持つ4ストロークエンジンは、ホンダという企業のアイデンティティそのものだった。したがって、CB250は単なるモーターサイクルとしてではなく、ホンダの哲学を体現する存在として設計された。それは、卓越した技術力をもってすれば、4ストロークエンジンでもライバルの2ストロークモデルに比肩しうるエキサイティングさと、それらを凌駕する洗練性を両立できるという、ホンダの自信の表明だった。
「エクスポート」革命:二つのスタイルの物語
アメリカに触発された美学
「エクスポート」という名称は、文字通り「輸出仕様」を意味する。このモデルを象徴する最大の特徴である、鮮やかなツートーンのキャンディーカラーは、当時ホンダが最重要市場と位置づけていた北米のライダーの嗜好を強く意識して考案されたものだった。
これは、ホンダの伝統的なスタイリングからの大胆な脱却であった。当初、日本国内向けの標準モデルであったドリーム CB250は、CB72のスタイルを受け継ぎ、黒や銀を基調としたメッキパネル付きの燃料タンクと、ヘッドライトと一体化したメーターナセルを持っていた。
それに対し、ドリーム CB250 エクスポートは全く異なる個性を放っていた。キャンディーレッドやキャンディーブルー(後にキャンディーゴールドなども追加)といった鮮烈な色彩と白の組み合わせ、スポーティーな形状の燃料タンク、そして性能の高さを感じさせる独立した2眼式メータークラスター。これらはすべて、アメリカの若者たちの心を掴むための戦略的なデザインだった。
国内市場での驚き:自己発見した市場
ホンダは、巧みと言うべきか、あるいは慎重と言うべきか、この伝統的なスタイルのCB250と、斬新なCB250エクスポートの両方を、日本国内市場で同じ価格(発売当時187,000円)で販売するという決断を下した。
結果はホンダの予想を良い意味で裏切るものだった。「新鮮でスタイリッシュ」なエクスポート仕様が、日本のライダーたちの間で圧倒的な人気を博したのだ。これはホンダにとって大きな発見だった。モダンでカラフル、そしてスポーティーなデザインへの渇望は、海外市場だけのものではなかったのだ。この予期せぬ成功は、日本の消費者の嗜好が急速にグローバル化していることを証明し、ホンダに貴重な市場データをもたらした。
この出来事は、単なる色の選択以上の意味を持っていた。それは、当時の日本の若者たちが、伝統的な国内の美意識に留まらず、海外の活気あるライフスタイルに強い憧れを抱いていたことの現れだった。ホンダは二つの文化的なビジョンを並べて提示し、消費者は自らの財布で「国際的なスタイル」に投票した。CB250エクスポートは、この文化的な願望を乗せて走る乗り物となったのだ。
新しい時代のデザイン言語
国内市場でのエクスポート仕様の熱狂的な支持は、その後のホンダのデザイン哲学に深く、永続的な影響を与えた。CB250/350エクスポートによって確立されたツートーンのキャンディーカラー、燃料タンクの造形、そしてスポーティーな全体の雰囲気は、1970年代を通じてホンダのスポーツモデルの視覚的な雛形となり、「70年代のホンダ・ルック」として広く認知されることになる。
伝説の解剖:技術的詳細
機械の心臓部:249cc SOHCエンジン
CB250エクスポートの心臓部は、新設計された排気量249ccの空冷単気筒オーバーヘッドカムシャフト(SOHC)2バルブ並列2気筒エンジンである。クランクシャフトは180度位相で、これが高回転までスムーズに吹け上がる独特のフィーリングと、中毒性の高い排気音を生み出した。
ここで注目すべきは、公称出力の変遷だ。
1968年〜1970年(K0, K1, K2前期): 最高出力は30 PS/10,500 rpm、最大トルクは2.14 kg-m/9,500 rpmと公表。
1971年〜1973年(K2後期、K3、 K4): 最高出力は27 PS/10,000 rpm、最大トルクは2.0 kg-m/9,000 rpmへと改訂。
この変更は、単なる性能低下ではなかった。ホンダがスペックシート上の競争から一歩引き、ブランドの核となる価値、すなわち実用域での扱いやすさ、滑らかさ、そして長期的な信頼性を追求する戦略的な転換だった。最高出力と最大トルクの発生回転数を下げることで、ピーキーな高回転域の性能よりも、より幅広い回転域で扱いやすい、豊かなトルク特性を重視したのだ。
エンジンにはツインキャブレター(ケイヒン製CV型)が組み合わされ、5速マニュアルトランスミッションを介して動力を伝達した。また、このクラスのバイクとしてはまだ珍しかったセルフスターター(電動スターター)を標準装備していたことも、大きな魅力の一つだった。
Kシリーズの年代記:熟成のプロセス
CB250は、その生産期間を通じて「Kシリーズ」として知られる年次改良を重ねていった。これはホンダの「カイゼン(継続的改善)」の哲学を如実に示すものだ。
CB250 K0 (1968年): 最初のモデル。角張ったツートーンの燃料タンクにラバー製のニーグリップパッド、深いメッキフェンダー、ゴム製のフォークブーツが特徴。
CB250 K1 (1969年): 過渡期のモデル。フォークブーツが廃止され、塗装された金属製のフォークカバーに変更。シートには初めて特徴的な横方向のパターン(リブ)が施されました。ニーグリップパッドはこのモデルイヤー中に廃止されたと見られる。
CB250 K2 (1970年): より明確な変更が加えられたモデル。タンクのグラフィックが更新され、キャンディーゴールドが主要色として登場。ヘッドライトケースはコスト削減のためか黒色塗装が多くなる。フェンダーはより軽快なデザインに変更された。また、法規制の変更に対応し、フロントブレーキと連動するストップランプスイッチやサイドリフレクターが装備された。エンジンもアイドリングの安定性向上のための調整が施されている。
CB250 K3 (1971年): デザインと機能面で大幅なアップデートが施されたモデル。燃料タンクはより丸みを帯びた形状となり、黒いストライプとピンストライプのグラフィックが採用された。給油口にはクイックオープン式のロック付きキャップ(通称モンツァキャップ))が装備。シートは整備性を向上させる横開き式となり、大型のグラブバーが装着された。メーターにはツーリングでの利便性を高めるトリップメーターが追加された。公称出力が27 PSとされたのもこのモデルから。
CB250 K4 (1972年-1973年): ドラムブレーキ仕様の最終型にして、最も完成されたモデル。K3とほぼ同様ですが、グラフィックなどに細かな変更が加えられている。しばしばKシリーズの決定版と見なされる。当博物館に収蔵されている車両も、その特徴からこの後期のモデルである可能性が高いと考えられる。
この後、CB250はフロントディスクブレーキと6速トランスミッションを備えたCB250T(G5)へと進化し、新たな章を歩み始める。
特徴 | K0 (1968年) | K4 (1972年) | 変更の意義 |
---|---|---|---|
エンジン | 空冷SOHC並列2気筒 | 空冷SOHC並列2気筒 | 基本設計は不変 |
最高出力 | 30 PS @ 10,500 rpm | 27 PS @ 10,000 rpm | 実用域での扱いやすさを重視した再チューニング |
最大トルク | 2.14 kg-m @ 9,500 rpm | 2.0 kg-m @ 9,000 rpm | より幅広い回転域でのトルク特性を追求 |
燃料タンク | 角張ったツートーン(ニーパッド付) | 丸みを帯びたツートーン(ストライプ付) | スタイリングの近代化 |
燃料キャップ | 標準的なねじ込み式 | クイックオープン式ロック付 | 利便性と安全性の向上 |
シート | フラットな形状(上ヒンジ) | 立体的な形状(横開き式) | 快適性と整備性の向上 |
計器類 | トリップメーターなし | トリップメーター装備 | ツーリングでの実用性向上 |
安全装備 | 基本的な装備 | フロントブレーキ灯スイッチ、リフレクター追加 | 法規制への対応と安全性向上 |
発売時価格 | 187,000円 (1968年) | 212,000円 (1971年セニア) | 物価上昇と装備充実化の反映 |
250cc戦争:2ストロークの世界に立つ4ストローク
h3. 競合車たち:哲学の衝突
1960年代末から70年代初頭にかけての250ccクラスは、各メーカーの技術哲学がぶつかり合う激戦区だった。CB250は、それぞれ異なる強みを持つ強力なライバルたちと対峙した。
カワサキ 250A1 "サムライ": 当時のクラストップの性能を誇ったモデル。ロータリーディスクバルブ吸気を採用した2ストロークツインエンジンは31 PSを発生させ、最高速や0-400m加速タイムで他を圧倒した。カワサキのマーケティングも極めて攻撃的で、速さを前面に押し出していた。
ヤマハ: ヤマハは二つの側面から市場にインパクトを与えた。一つは1968年に登場したDT-1で、「トレール」という新しいジャンルを創造したこと。もう一つは、ロードスポーツモデルのDX250(1970年)に代表される、世界グランプリレースで培った技術をフィードバックした高性能な2ストロークスポーツモデルの存在があった。
スズキ: スズキもまた2ストロークの強豪だった。T250 ハスラーはCB250の直接のライバルであり、そのパワフルな走りで知られていた。同時に、オフロードモデルのTSシリーズや、より大排気量のT500を開発するなど、技術的な野心を示していた。
異なる価値の提案:速さより洗練を売る
CB250は、カワサキ・サムライとの純粋な速さ比べでは勝ち目がなかった。ホンダはそのことを熟知しており、同じ土俵で戦うことを選ばなかった。その代わり、ホンダは市場を巧みにセグメント化し、ライバルが無視していた価値観を持つ広大な顧客層にアピールしたのだ。CB250が提供した価値は、全く異なるものだった。
洗練性: 4ストロークエンジンは、2ストローク特有の甲高い排気音や振動が少なく、より滑らかで上質な乗り味を提供した。
信頼性: 高回転を多用する高性能な2ストロークエンジンに比べ、より堅牢でメンテナンスの手間が少ないという、ホンダが長年培ってきた信頼性を武器とした。
先進装備: 標準装備されたセルフスターターは、利便性と高級感をもたらす大きなセールスポイントだった。
良識的なイメージ: CB250は「良識ある人々のバイク」だった。これは、2ストロークの過激なイメージを敬遠する通勤利用者や、子供にバイクを買うことをためらう親世代にも受け入れられる要因となった。まさに「You meet the nicest people on a Honda(素敵な人、ホンダに乗る)」というキャンペーンの精神を体現したモデルだったのだ。
このように、ホンダは性能一辺倒だった市場に「洗練されたスポーツバイク」という新たなカテゴリーを創造し、独自の地位を築き上げることに成功したのだ。
メーカー/モデル名 | エンジン形式 | 最高出力 (PS/rpm) | 最大トルク (kg-m/rpm) | 乾燥重量 (kg) | 市場での位置づけ/差別化要因 | 発売時価格 (円) |
---|---|---|---|---|---|---|
ホンダ ドリーム CB250 エクスポート | 4ストローク SOHC 2気筒 | 30 / 10,500 | 2.14 / 9,500 | 160 | 洗練性、信頼性、セルフスターター | 187,000 |
カワサキ 250A1 サムライ | 2ストローク ロータリーバルブ 2気筒 | 31 / 8,000 | 2.92 / 7,500 | 145 | クラストップの絶対性能、速さの追求 | 187,000 |
ヤマハ DX250 (1970年) | 2ストローク ピストンポート 2気筒 | 30 / 7,500 | 2.93 / 7,000 | 141 | レース由来の血統、総合的なスポーツ性能 | (比較可能) |
スズキ T250 ハスラー | 2ストローク ピストンポート 2気筒 | 30.5 / 8,000 | 2.97 / 7,000 | 145 | パワフルな性能、6速ミッション | (比較可能) |
遺産と不朽の魅力
ホンダ帝国を築いた礎
CB250は、共通のフレームを持つ兄貴分のCB350と共に、世界中で驚異的な商業的成功を収めた。1969年に登場した画期的なドリーム CB750 FOURがホンダブランドの象徴的な「フラッグシップ」として君臨する一方で、実際にホンダの屋台骨を支え、世界中の一般ライダーにホンダ品質を浸透させたのは、手頃な価格で大量に販売されたCB250/350ツインだった。CB750が世界に放った衝撃が「革命宣言」であったとすれば、CB250/350はその革命を草の根レベルで実現し、勝利に導いた「歩兵部隊」だったと言えるだろう。
一大王朝の始祖
1968年のドリーム CB250は、その後数十年にわたって続く長大な系譜の始祖となった。「CB250」の名は、後のCB250Tやナイトホークといったツインモデルから、単気筒のRS、さらには4気筒のジェイドやホーネットに至るまで、多種多様なモデルに受け継がれていった。この一台は、現代に至るホンダの「扱いやすく、誰もが楽しめる小排気量ロードスポーツ」の精神的な原点と言えよう。