ラビットS-48 II
国産初のスクーターS-1を生み出した旧中島飛行機(現在の富士重工業)は、群馬県太田と東京三鷹にあった工場で生産をおこなっていた。
太田製のスクーターには「S」、三鷹製には「D」が型式の頭文字に用いられていた。三鷹製のDモデルは'51年にスクーターの生産を終えた。以降は研究所として活動し、後に名車スバル360を生み出している。
ここに展示しているS-48は、その太田工場でS-1から続けて開発された一連のSシリーズスクーターである。S-48には I 型から III 型までがあり、博物館の展示モデルはⅡ型の後期になるが、車体の構成やエンジンなどは基本的にS-2からあまり発展していない。
この頃、中日本重工業(現在の三菱自動車)や扶桑機械('53年~'57年)、川崎機械、本田技研工業などが相次いでスクーターを発売し、ラビットスクーターに挑戦をしかけたが長くは続かなかった。富士重工業(スバル)は圧倒的な国民の支持を受けて、スクーター界の主役であり続けたのだ。
しかし、やがて時代は移り変わり、50ccモペットや3輪・4輪の軽自動車に市場を奪われていく。ラビットはついに1967年に生産中止となり、スクーターのひとつの時代が終わった。
製造会社 | 富士重工業 | 製造期間 | 1952年(S28年)~1953年(S29年) |
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エンジン | 4サイクル サイドバルブ199cc | 変速機 | 無段 |
最大出力 | 3.0ps | 生産台数 | 12,901台 |