FIAT ABARTH 131 RALLY
1973~1982年、WRC(World Rally Championship) では、様々な自動車メーカーが乱立する、ラリー全盛の時代であった。アルピーヌA110、ランチアストラトス、エスコートRS、セリカRA40、パイオレットPA10・・・そして、その中にフィアットアバルト131ラリーの姿もあった。
1970年代なかば、WRCではランチアストラトスが圧倒的強さを誇り、Fiat Abarth 124 Rallyは勝利を得ることができずにいた。3年目のシーズン、フィアットはストラトスに対抗するラリー・マシンの開発に着手。ベース車にFiat 131 MirafioriというFRの2ドア・セダンが選択され、アバルトに開発を委ねた。
Fiat Abarth 131 Rallyの外観上の特徴は角張ったFRP製オーバーフェンダー、前後のスポイラー、ボンネットのエア・インテークなどである。エンジンはFiat 132用の1995cc水冷直列4気筒DOHCを16バルブ化するなどのチューンが施され、ノーマルの112HPに対し140HPのパワーを得た。足回りは、フロントはベース車のマクファーソン・ストラット+スタビライザーの構造はそのままに、リアをセミトレーリング・アーム+スタビライザーという構造に改められた。
1976年 ジュネーブ・ショーでの発表後、Fiat Abarth 131 Rallyの製作はベルトーネが担当し、グループ4のホモロゲーションに必要な400台が生産される。一方、レース仕様のCorsaでは、スポイラーのFRP化などによる875kgまでの軽量化と、230HP/7500rpm×23kg-m/5600rpmまでのチューンがなされた。
Engine Type | 水冷直列4気筒DOHC 16バルブ |
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Cubic capacity | 1,995cc |
Maximum horse power | 140HP/6,400rpm |
Maximum torque | 17.5kg-m/3,600rpm |
WRC戦歴
1976年/テスト参戦。1000湖ラリーでM・アレンが初優勝。
1977年/ランチアのラリーワークス活動が縮小したこともあり、全11戦のうち5勝し、メイクス・タイトルを獲得。
1978年/ポルトガル、アクロポリス、1000湖、ケベック、ツール・ド・コルスで優勝し、2年連続のチャンピオン・マシンとなった。この年を最後にLancia Stratosのワークス参戦が終了。ランチアのラリー部門が解散され、アバルトに統合された。131がアリタリア・カラー(白+緑のカラーリング)となった年でもある。
1979年/フォードにWRCタイトルを獲得。
1980年:5戦の勝利を得、3回目のワールド・タイトルを獲得。
1981年/Audi QuattoroやRenault 5 Turboなど次世代マシンが現れ始め、Fiat Abarth 131 Rallyは1勝で終わる。この頃、WRCのレギュレーションがグループ4からグループBへと変わり始め、Fiatは次期ラリーマシンとしてLancia 037 Rallyの開発に着手することとなるのだ。