NISSAN FAIRLADY Z / 日産 フェアレディZ [S30]
海外で競り合える国産スポーツカーへ
1969年10月18日、海外輸出用ブランド「ダットサン [Datsun]」の北米市場拡販を目的とし、オープンタイプであった「ダットサン フェアレディ」[*1] に代わって、クローズドタイプの新型スポーツカー「日産 フェアレディZ [Fairlady Z]」[*2] が発表された。軽量なモノコックボディに、信頼性の高いL20A型エンジンを搭載し、サスペンションはストラット式を採用。高性能且つ流麗なスタイリングを両立しながらも価格を抑え、海外市場を先行する競合他社に肉薄した。
それまでの海外における日本車は品質や耐久性、信頼性の面で優れ、単純な移動手段としての評価は得られていたが、クルマとしての「楽しさ」「魅力」に欠けているという印象が拭えないままであった。東西の「アメリカ日産 [Nissan Motor Corporation, U.S.A.]」 統合後の初代社長である片山豊(ミスターK)は当時、北米市場拡販のための新しいフラグシップカーを求めていた。
ミスターKの戦略は車の名称にも及んだ。日本では「フェアレディZ」と名付けられたが、彼は輸出名として「240Z」を強く推した。これは、「フェアレディZ」よりも力強く、そのエンジニアリングをよりよく表していると感じたためである。彼のアメリカで月販3,000台を達成するというコミットメントは、この車の可能性に対する信念を裏付ける大胆な約束であり、プロジェクトが承認される上で大きな力となった。
片山氏の役割は、典型的な経営者のそれを超えていた。彼は製品のビジョンを持つ人物であり、文化の架け橋でもあった。彼は単に米国事業を管理していただけでなく、製品の形成に積極的に関与していた。アメリカの自動車文化と願望に対する彼の深い理解 、そして輸出名としての「240Z」へのこだわりは、新しい顧客層に向けて製品を差別化する鋭いマーケティング感覚を示している。手頃な価格のスポーツカーを擁護したことは、その大衆的な魅力の鍵となった。このように、ミスターKはアメリカの願望を日本の技術で具現化する導管として機能し、「Zカーの父」としての地位を確立したのである。
本車両については、高知県在住の愛好家がフルレストアした「フェアレディZ」の中期型モデルであり、当初は輸出専用モデルであった「240ZG」仕様に、細やかなアレンジが施されたものを展示している。
![nissan fairlady-z [s30]_03_resized.jpg](https://lovemota.vistanet.co.jp/museum/nissan%20fairlady-z%20%5Bs30%5D_03_resized.jpg)
全長 / 全幅 / 全高 [mm] | 4,270 x 1,680 x 1,280 | ホイールベース | 2,305 mm |
---|---|---|---|
車両重量 | 1,070 kg | 排気量 | 1,998 cc |
エンジン | 日産 L20A型 [L20改良型] 直列6気筒SOHCエンジン | 最高出力 | 92 kW / 125PS / 6,000 RPM |
駆動方式 | 後輪駆動 | サスペンション | 前・後 : ストラット式サスペンション |
生産台数 | [1969 - 1978] 約540,000台 [内輸出台数 約500,000台] |
*1 ...... フェアレディ [Fairlady]
初代の名称はフェアレデー、2代目よりフェアレディに変更。ダットサン・スポーツシリーズの後継、フェアレディZの先代に当たる車種で、日産自動車の第9代社長・川又克二がミュージカル「マイ・フェア・レディ [My Fair Lady]」に感銘を受けて命名。なお、この名称を冠したのは日本国内のみであり、海外での販売においては「フェアレディ」の女性的な、か弱い印象を回避するため、広く浸透しつつあった日産のブランド名「ダットサン」に、従来のシリーズ名や排気量を表す数字を組み合わせた名称が用いられた。
【日本国内販売名称 → 海外販売名称】
ダットサン・フェアレデー1200 → ダットサン・スポーツ1200 [Datsun Sports 1200]
ダットサン・フェアレディ1500 → ダットサン・スポーツ1500 [Datsun Sports 1500]
日産・フェアレディ240Z → ダットサン240Z [Datsun 240Z]
*2 ...... フェアレディZ [Fairlady Z]
概要は記事本文を参照のこと。世界中にファンを持つ日産のフラグシップスポーツカーであり、改良と進化を重ねながら半世紀以上も生産し続けられている。愛称はZ [Z-Car]。フェアレディの注釈にも記載されているように、海外においては現行モデルでも"フェアレディ"を用いない「Nissan Z」の名称で取り扱われている。
English Description
The Nissan Fairlady Z (S30), known as the Datsun 240Z in the North American market, debuted in 1969. In Japan, it was launched under the Fairlady Z name. Its sleek long-nose, short-deck styling and high performance, coupled with an affordable price, led to an explosion in popularity, especially in America.
At a time when European sports cars were often out of reach, the S30 offered a blend of performance and practicality, establishing itself as an "attainable sports car" for young people in the American market. The 240Z, equipped with a 2.4L in-line six-cylinder SOHC engine (L24 type), produced a maximum output of 150ps. Its acceleration and handling were highly praised.
The success in the American market significantly boosted Nissan's brand image and greatly influenced the overseas expansion of other Japanese car manufacturers that followed. With over 550,000 units produced, the majority of which were destined for North America, it's clear how much it was cherished in the U.S. Even today, it remains highly popular at classic car events and in the used car market, continuing to be celebrated by fans worldwide as a timeless masterpiece etched into Japan's automotive history.
This vehicle on display is a mid-production Fairlady Z that has undergone a full restoration by an enthusiast residing in Kochi Prefecture. It features meticulous arrangements to replicate the "240ZG" specification, which was originally an export-only model.
中文說明 (Traditional Chinese)
日產 Fairlady Z (S30):傳奇跑車
日產 Fairlady Z (S30) 於 1969 年首次亮相,在北美市場以「達特桑 240Z」(Datsun 240Z)之名推出,而在日本國內則以「Fairlady Z」之名發售。其流線型的長車頭、短車尾造型,加上高性能卻平易近人的價格設定,在當時的美國市場獲得了爆炸性的人氣。
當時,歐系跑車對許多美國人而言是遙不可及的奢侈品,而 S30 則完美結合了高性能與實用性,迅速在年輕族群中確立了「人人都能擁有的跑車」的地位。240Z 搭載了 2.4 升直列六缸 SOHC 引擎(L24 型),最大輸出功率達 150 匹馬力,其加速性能和操控穩定性都獲得了高度讚譽。
S30 在美國市場的巨大成功,不僅大幅提升了日產的品牌形象,也對之後日本汽車製造商的海外拓展產生了深遠影響。這款車的累計生產量超過 55 萬輛,其中絕大多數是銷往北美,這也充分證明了它在美國的受歡迎程度。即使到了今天,它仍在經典車活動和二手車市場中享有極高人氣,作為日本汽車史上不朽的傑作,持續受到全球車迷的喜愛。
關於此展車:這輛展示的 Fairlady Z 為中期型號,由一位居住於高知縣的愛好者進行了全面修復。它經過精心改裝,呈現出「240ZG」的規格,該型號最初是專為出口設計的。