Lotus Esprit Turbo(swapped with Cosworth DFV)
Lotus Esprit Turbo with a transplanted DFV engine(F1エンジンDFVに換装したロータスエスプリターボ)
情熱とこだわり、あるいは熱狂と執念か~バックヤードビルダーが作り上げたロードゴーイングレーサー
フォード・コスワースDFV(ダブル・フォア・バルブ)
1966年、F1のエンジン排気量規定が3リッターに変更された。当時、ロータスはBRMのH16エンジンを使用していたが、重く信頼性に欠けるという問題を抱えていた。そこでロータス創始者のコーリン・チャップマンは、コスワースのダックワースに新たなF1エンジンの開発を依頼することとなった。
1967年、フォードからの資金援助と、チャップマンの革新的な設計思想(エンジンをストレスド・メンバーとする)が結びつき、F1にデビュー。ジム・クラークがドライブするロータス49がデビューウィンを飾る。
その後20年以上にわたってDFVはF1の主力エンジンとして君臨し、通算155勝、12回のドライバーズチャンピオン、10回のコンストラクターズチャンピオンという驚異的な記録を打ち立てた。これはF1史上、フェラーリ、メルセデスに次ぐ3位の勝利数である。
その汎用性と信頼性から、F1だけでなく、スポーツカーレース、インディカー、ツーリングカーレースなど、様々なカテゴリーで活躍し、F1のモナコGP、インディ500、ル・マン24時間という世界三大レースの全てを制した唯一のエンジンでもある。
また、日本においてもF3000選手権にてDFVは使用された。当館で展示しているCABIN Racing Team with HEROES(#3片山右京)にも搭載されている。
ロータス・エスプリ・ターボ
英国を拠点とするスポーツカーメーカー、ロータス。その名は、創設者コーリン・チャップマンの掲げた「性能はライトウェイトから」という不動の哲学とともに、モータースポーツ史および高性能スポーツカー開発の系譜に深く刻まれている。
ロータスは創業以来、闇雲な高出力追求を排し、車両全体の軽量化、およびそれによってもたらされる卓越した操縦性を最優先してきた。これは、質量の削減があらゆる運動性能、すなわち加速、減速、旋回といった要素を向上させるというチャップマンの確固たる信念に基づいている。
同社は、FRP(繊維強化プラスチック)をはじめとする軽量素材を積極的に採用し、サスペンションジオメトリーやステアリングフィールに至るまで、ドライバーが路面と一体化したかのような感覚を得られるよう徹底的に開発を推進した。その結果、ロータス製の車両は、他社製ハイパワーモデルをあたかも舞踏を踊るかのように軽やかにコーナーを攻略する様から、「ハンドリングの魔術師」と称されるに至った。
エスプリの誕生とターボ化への道程
ロータス・エスプリは1976年のパリモーターショーにてデビューを飾った。そのデザインは、イタリアの巨匠ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けたもので、彼が創出した「折り紙」と形容されるシャープなウェッジシェイプは、当時のスーパーカー群においても際立った異彩を放ち、未来的な魅力を湛えていた。まさに「走る芸術品」と称するに相応しい造形美を誇ったのだ。
しかし、初期のエスプリは、その斬新なスタイリングに見合うだけの動力性能を十分に有していたとは言い難い状況だった。そこでロータスが着目したのが、ターボチャージャーの導入である。1980年、満を持して「エスプリ・ターボ」が登場した。
このターボ化は、ロータス哲学と見事に融合した。同社は単なる最高出力の向上に留まらず、あくまで軽量かつコンパクトな自社開発2.2リッター直列4気筒エンジンにターボを組み合わせることで、V型8気筒エンジンに匹敵するパワフルな加速力を獲得した。これは、重いV8エンジンを搭載することなく、ロータス本来の軽快な操縦特性を維持したまま、圧倒的な動力性能を獲得するという、パワーと重量の均衡を極限まで追求するロータスならではのアプローチの賜物だった。
デザインと存在感:
ジウジアーロによるオリジナルの意匠は踏襲しつつ、ターボモデルではよりワイドなタイヤおよびホイールを収めるべく、フェンダーが大きく張り出した。それに加えて、リアスポイラーやサイドスカートなどが追加され、より攻撃的で迫力ある外観へと進化した。その独特なシルエットは、まさに「スーパーカー」と呼ぶに相応しいオーラを放っている。
パフォーマンス:
初期のエスプリ・ターボは、最高出力210ps、最大トルク27.4kgf·mを発揮。0-100km/h加速は約5.6秒、最高速度は240km/h以上という、当時の水準から見ても極めて高いパフォーマンスを誇った。ターボラグは確かに存在したが、一旦ブーストがかかると、シートに身体が押し付けられるような強烈な加速を体験することが可能だった。
映像作品における活躍:
エスプリは、映画「007 私を愛したスパイ」への登場により世界的な知名度を獲得したが、ターボモデルもまた、『007/ユア・アイズ・オンリー』 (For Your Eyes Only、 1981年)に登場している。白いターボと、爆破されてしまう赤いターボの2台が登場し、特に雪山でのチェイスシーンが印象的だ。そのスタイリッシュな姿は人々の記憶に深く刻まれている。
進化と終焉
エスプリ・ターボは、その後も継続的な進化を遂げた。ピーター・スティーブンスやジュリアン・トムソンによるデザイン変更により、より曲線的な意匠の「エスプリSE」「S4」「GT3」などが登場し、エンジンもDOHC化され、最終的には3.5リッターV型8気筒ツインターボエンジンを搭載した「V8」モデルまで発展した。しかし、いずれのモデルも、その根底には「軽さと操縦性」を重んじるロータスのDNAが脈々と息づいていた。
残念ながら、エスプリは2004年にその生産を終了したが、その独自の様式と、ターボエンジンがもたらす刺激的な走行性能、そしてロータス哲学が凝縮されたその存在は、現在もなお多くの自動車愛好家にとって憧憬の対象であり続けている。
Lotus Esprit DFV
博物館に展示しているこの車両は、ロータス・エスプリ・ターボにF1のエンジン、DFVを換装したものだ。とある日本人のバックヤードビルダーが、1990年から95年にかけて図面作成から始まり、中身を新しく作り上げた。シャシーはオリジナルの原型はなく、メインドライブシャフトとベルハウジングも寸法を合わせたワンオフ。そしてミッションはイギリスのヒューランド社のFT200を、クラッチ及びブレーキのバランスバーやマスターシリンダーはアメリカのチルトン社製を採用するなど、各種コンポーネントもDFVの出力を受け止めるために交換されている。
レーシングスペックの500馬力を受け止めるために作り直されたこの車両は、まさにエスプリ・ターボの皮をかぶったフォーミュラーカーといっても差支えがないマシンであろう。
エンスージアストならば一度は妄想する、「私が考えた最強のマシン」。ただし、それを本気で実現させる者はほとんどいない。オーナーの情熱とこだわり、あるいは熱狂と執念ともいえるほどの熱い思いをぜひ感じ取ってほしい。
そして、このような特異なマシンが一般的な博物館で展示されることはあまりない。今回、四国自動車博物館にて展示できるのも一つの奇跡と言えるかもしれない。
Cosworth DFV | |
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主な用途 | F1 |
排気量 (cc) | 2,993 |
レイアウト | V8 NA |
ボア x ストローク (mm) | 85.67 × 64.8 |
最高出力 (目安) | 408-510 hp |
Lotus Esprit Turbo | |
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製造開始年 | 1981年 |
製造終了年 | 1987年 |
総生産台数 | 2,909台 |
<英語解説文>
The DFV-Powered Lotus Esprit: A Backyard Builder's Formula Dream
From the late 1960s to the early 1980s, the DFV (Double Four Valve) engine reigned supreme, dominating the Formula 1 landscape. A Japanese backyard builder, deeply drawn to this legendary powerplant, embarked on an ambitious quest: to transplant the DFV into a road-going vehicle. Naturally, he chose Lotus, the marque with the closest historical ties to the DFV's racing glory.
Initially, the Esprit Turbo, with its reinforced chassis, seemed a viable candidate to withstand the DFV's immense power. However, it soon became clear that even the Turbo's robust design was insufficient for street-legal application. The extreme demands of the engine necessitated a near-complete overhaul, leading to extensive modifications of the chassis, suspension, and virtually every other major component.
The resulting creation is far more than a mere engine swap; it is, without hyperbole, a formula car cloaked in the skin of an Esprit Turbo. This machine stands as a testament to the builder's audacious vision and relentless pursuit of performance, blurring the lines between race-bred engineering and road-going ambition.
<繁体字解説文>
搭載DFV引擎的Lotus Esprit:一位草根改裝者的方程式夢想
從1960年代末期到1980年代初期,*DFV(Double Four Valve)*引擎獨霸一方,稱霸了F1賽車界。一位日本的草根改裝者深受這款傳奇動力系統的吸引,展開了一項雄心勃勃的計畫:將DFV引擎移植到一輛合法上路的車輛中。很自然地,他選擇了Lotus,這個與DFV賽車榮耀有著最深歷史淵源的品牌。
最初,配備強化底盤的Esprit Turbo似乎是個能承受DFV巨大動力的可行選擇。然而,很快就發現,即使是Turbo的堅固設計,也不足以應付合法上路的嚴苛要求。引擎的極端需求使得車輛必須進行近乎全面的改造,導致底盤、懸吊以及幾乎所有其他主要部件都進行了廣泛的修改。
最終的成品遠不止是單純的引擎換裝;毫不誇張地說,它是一輛披著Esprit Turbo外殼的方程式賽車。這輛車證明了這位改裝者大膽的願景和對性能的不懈追求,模糊了賽車工程與道路用車之間的界線。